【特集ページ】金足農業 吉田輝星(日本ハム)はプロ生活を始動。スター性抜群の最速152キロ投手

プロ生活を始動、吉田輝星

2018年の高校野球界を大いに盛り上げたスター・吉田輝星(金足農業)がプロ野球界へ。

ドラフト会議では、日本ハムが競合することなく1位で単独指名し交渉権を獲得。大阪桐蔭の柿木蓮もドラフト5位で指名され、夏の甲子園 優勝・準優勝投手が日ハムでチームメイトとなる。

春季キャンプでは吉田・柿木が同部屋に

日本ハムの柿木蓮と吉田輝星が、沖縄の春季キャンプ中、「同部屋」となった。3年目の郡がルーキー2人の“お目付け役”についた。

日本ハム・吉田輝星は、キャンプ同部屋の柿木のいびきで起こされたという。これを伝え聞いた根尾昂は、「(僕も)たくさんあります」と同じ被害に遭っていたことを明かした。

また、柿木蓮は吉田輝星と春季キャンプで「同部屋」となることについて「ほかの人より自分の方が(輝星の)扱いに慣れていますからね。いい意味で2人で上に行くということを意識したい」と語った。

日本ハム春季キャンプでの吉田




髪でもストレートを大事にする

新人合同自主トレ中、柿木蓮は吉田輝星の髪型について

「クセ毛だなってイメージだったんですが、久しぶりに会ったらサラサラヘアになってて『これどうかな?』って聞かれたんです。ストパーかけたんかなと思ったら、どうもヘアアイロンでセットしてるみたい。髪でもストレートを大事にしてるんすかね」と語った。

いよいよプロ生活が始まる。吉田輝星はドレードマークとなった「マウスピース」をプロでも装着する予定。入寮時には試合用とブルペン用の2つを持参。出会ったのは2年の春。昨年12月、金足農業ブルペンで投球した際には奥歯が欠けていたという。マウスピースはつけていなかった模様だ。

先輩も優しく吉田を迎え入れる。日本ハム主将・中田翔は吉田について「気迫のこもった投球、投げっぷりは観てていちばん気持ちいいと思った選手。顔もイケメンだしね…伸び伸びやらせてあげたいですし、変な気を使わせないように、本当に野球に集中できるような環境をつくってあげたい」とコメント。

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金足農業・吉田輝星、お尻の大きさが104センチに成長

新人合同自主トレに参加している日本ハムのドラフト1位・吉田輝星(金足農)のお尻回りの大きさが、自己最長を約5センチ更新する104センチを記録した。夏以降、86キロまで増えた体重も5キロ絞り、プロ仕様のボディーが完成したという。

吉田輝星、出世部屋に入寮

吉田輝星のプロ野球生活がいよいよ始まる。1月6日、千葉・鎌ケ谷市の「勇翔寮」に入寮した。吉田の部屋は出世部屋だ。ダルビッシュ有や大谷翔平ら歴代エースが使用していた「404号室」に決定した。ちなみに隣の「403号室」には、清宮幸太郎も暮らす。

また、入寮日については、事前公表なしも約150人のファンが集結。球団では新人合同自主トレに備えて、昨年同様に休日以外は午前10時から午後2時まで鎌ケ谷スタジアムの内野席を開放し、警備員は通常の2人から6人に増員する予定。

2019年の元日から地元で10キロを走り込んだ。自宅近くの神社で引いたおみくじは「末吉」だったが、争い事は「勝つこと安し」と書かれていたという。

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吉田輝星の背番号は「18」

吉田輝星の背番号は、エースの代名詞となる「18」に。

11月23日の入団記者会見でお披露目された。

これまで背番号18は、通算167勝を挙げた故・高橋一三や岩本勉、斎藤佑樹(17年から背番号1に変更)などが背負ってきた。

18という背番号は、プロ野球球界ではエースの称号だ。球界では、あの桑田真澄や松坂大輔ら数々の甲子園のスターがプロで背負った番号である。

日本ハム 新入団選手の背番号

1位 吉田輝星投手 18
2位 野村佑希内野手 24
3位 生田目翼投手 13
4位 万波中正外野手 66
5位 柿木蓮投手 37
6位 田宮裕涼捕手 64
7位 福田俊投手 40
育成1位 海老原一佳外野手 144

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契約金1億円、年俸1000万円で仮契約

11月15日、契約金1億円、年俸1000万円で仮契約した。

「今までは部活だったが、これからは仕事になる。そこをしっかり意識していきたい。…早く野球をやりたいという気持ちが強くなった。それにはどういうトレーニングをするべきか考えないといけない。…ほとんどのプロの投手は、同じ腕の振りで直球と変化球を投げる。直球をよりよく見せるために、変化球をもっと練習したい」。

秋田に戻ってきたときに、『来年もいい成績を残してくれよ』と褒められる投手になりたい」

「できるだけ直球に近い軌道のカットボール、ツーシームを覚えたい。…(目標の)球速は155キロと言ったが、それに加えてキレとコントロールを増したい。」

「球界を代表する投手になりたい。タイトルよりも、調子のいいときも悪いときも、しっかり組み立てて勝てる投手になりたいです」

<北海道の印象について>

「海鮮系がおいしい。カニが好きなので食べてみたい」とコメント。新しい球場についても「写真を見て良い球場だなと。新しい球場だと新鮮な気持ちで投げられる」と語った。

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1位指名を受け吉田のコメント

「まだまだストレートが完成していない。常時150キロを超え、155キロくらい出せるように。自分の持ち味。もっと磨いてストレートで勝負したい」

日ハムからのドラフト1位指名に

「ホッとしたのが強い。たくさん1位の選手が選ばれている中で、自分の名前が呼ばれて、すごい安心した。日本ハムに入ることが決まってうれしい。…ドラフト1位で高校から行った先輩たちがすごく活躍している。自分も一緒に活躍したい。」と語った。

日ハム、栗山監督の印象については、

「高校生の選手を育てるのがうまい。優しい感じで育ててくれると思う。…一番会ってみたいのは中田翔選手。打者として一番嫌な球はどういう球か。」

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ドラフト会議|吉田のコメント

―ドラフトまでの心境は?
「順位とかいろいろ考えたけど、早くこの日が来てほしい思いが強かった」

―家族から言葉は?
「祖父は気遣ってくれて何もなかった。弟には1位で行ってねと言われた」

―どんな投手になりたい?
「球界を代表する投手になって、もう一度、世界で日の丸を背負って戦える投手になりたい」

―対戦したい打者は?
「ホームラン打者がたくさんいる。その人たちと勝負してみたい」

―北海道の印象は?
「秋田も雪が降るけど、それより質のいい雪がたくさん降る。また雪のある場所かなと」

―自信と不安の割合は?
「50%ずつくらい。甲子園で勝てたことが自信になっている。不安なのは寮生活。私生活で気をつけないといけない不安があります」

―楽天・則本が憧れ?
「見て学べるものは参考にしていきたい。高校とプロは投げる日にち感覚が違う。いかに調子の上下をなくすかを参考にしたい」

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特集!スター性抜群の高校No.1右腕

東北の怪物が、夏の甲子園の主役になった。金足農業の吉田輝星。圧倒的な「主人公感」に、多くの人が魅了されている。

夏の甲子園では横浜高校戦で自己最速タイの150キロを記録。さらに国体の舞台、公式戦ラストゲームで自己最速152キロを記録した。

プロフィール・出身など

  • よしだ・こうせい
  • 2001年1月12日、秋田市生まれ。
  • 小3から野球を開始。高校1年夏にベンチ入り、同秋からエース。
  • 昨夏の秋田大会準優勝で、今春は県大会優勝、東北大会8強。
  • 夏の秋田大会は全5試合43回を投げ、57奪三振は出場選手中最多。
  • 球種はカットボール、カーブ、スライダー、ツーシーム、チェンジアップ。
  • 176センチ、81キロ。右投右打。
  • 家族は両親、弟。


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根尾は「野球をやっていないときは変人(笑)」

U18高校日本代表チームメイトとなった大阪桐蔭・根尾昂について、金足農高・吉田輝星は、冗談交じりに「根尾?真面目ですが、野球をやっていないときは変人です(笑)部屋に入ってみたら、扉の目の前で体幹(トレーニング)をしていた。行動がおかしいんです(笑)」と印象を語っている。

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U18・宮崎高校選抜戦で復活登板

U18高校日本代表では、宮崎県高校選抜戦(8月31日)に最終回の9回に登板し、圧巻のピッチングを見せた。

11球中10球が直球、最速149キロの直球で無失点に抑える好投だった。普段の姿とは違う、マウンドに立った時の吉田がまとう、そのオーラは甲子園で見せたそれだった。

登板前のルーティン「シャキーン」も大阪桐蔭・藤原恭大と決めた。ちなみに藤原は「緊張した」と語っている。

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マウスピースをつけている理由

夏以降、吉田に影響を受けて高校球児に「マウスピース」が広がりそうだ。吉田は、奥歯が欠けるほど踏ん張るため、マウスピースを着用している。

夏に向けて、トレーニングを重ねてきた。年明けの合宿では早朝5時半から8キロ走に坂道ダッシュ。雪上を長靴で走り込んだ。球威が増して捕手・菊地亮太の左手人さし指を切り、ミットを2か月に1度交換させたという。

吉田輝星の名前の由来

父が、シドニー五輪柔道金メダリスト・井上康生氏にひかれ、「輝星(こうせい)」と命名した。ちなみに、仲間からは「ヨッシー」の愛称で親しまれているという。

好きな言葉は「覚悟」

2年の夏の大会前から帽子のツバに「覚悟」とマジックで記入した。

大の甘党で、縁日で売っている屋台のチョコバナナが好物である。

苦手なものは「カエル」

苦手はカエル。女子マネは「選手たちは輝星にいたずらされたらお返しに、カエルを捕まえて投げつけたりしています。逃げるのはチームで一番速いです」と証言している。

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父も金足農業出身、甲子園の夢叶わず

父も、金足農野球部出身である。父・正樹は、現役当時、2年連続決勝で敗退。3年時は明桜の前身、秋田経法大付の前に涙をのんだ。

吉田は「父を甲子園に連れていきたかった」とコメントしていた。

弟・大輝は小学五年生

弟の大輝が、兄とキャッチボールをした一番古い記憶は保育園に通っていた頃だという。兄は早朝に家を出る。帰宅は夜9時すぎ。帰宅後もストレッチなどに余念がなく「疲れてるかな」と、話しかけるのを遠慮してしまうそうだ。一緒に遊んでくれていた時のことを思い出すと、少し寂しいという。

たまに、ストレッチ手伝うこともある。「あぐら」のように開いた脚の上に座る。「けがしないかな」と心配だったが、兄の脚は強い。落ち込んだり愚痴をこぼしたりする姿を見たことがない。いつも穏やかで優しい。

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冬場にスタミナ強化「走りすぎじゃないの?」と監督

スタミナアップのために、冬場に徹底した走り込みを重ねた。中泉一豊監督が「走りすぎじゃないの?と思うくらい、自分から走るようになった」と語る。さらに、雪の中、長靴を履いての長距離走や、室内練習場でのダッシュに取り組んだ。

その努力の結果、球のキレが増した。菊地亮太捕手は「(ミットの)ひもはすぐ切れる。ミットも、もって1~2か月なんです」と明かすほどだ。

下半身を強化して太ももがたくましくなり、しゃがむ度にパンツが破ける。母は「何回パンツを買い足したか、分かりません」。
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吉田輝星の人柄

「マウンドでは『俺が俺が』という感じだけど、普段は『構って構って』と寄ってくる」と仲間の大友選手は語る。

小学生の頃から知る菅原天空選手は「性格は全然変わらない。取材される時はシャイだけど、普段はずっとしゃべっていてうるさい」

カエルも苦手で、環境土木科の測量実習は肌に触れないよう夏でも長袖を着る。

捕手の菊地亮太はこう語る。

「(高校に)入ってきたときの球速は128キロでしたが、1年夏に140キロを出してそこからどんどん球速がよくなってきました。その分、努力している姿を見ているので凄いなと思います。性格的には子供っぽいです。キャッチャーが表情を出すとよくないので自分が我慢することが多いです(笑)」

冬合宿で、全員が一定のタイムを切らないと終われないランメニューを行った際、みなの3メートル後方からスタート。ペースの落ちた選手の背中を押して脱落者を出さないように、最後尾を走ってもり立てた。

負けず嫌いの吉田輝星

自宅の部屋にはプロ野球選手のポスターは貼らないという。「すごい人たちのポスターを見てると悔しくなる。負けたくなくてイライラする」

準備運動におけるルーティン

「ランニング→ソフトボール→バスケットボール→遠投→ブルペン」のルーティンを行う。

昨夏、昨秋と、秋田県大会終盤に消耗して敗れたのを機に、野球以外からも情報収集。新たなルーティン完成が完成したという。

(1)ソフトボール
練習序盤には、吉田は外野の芝生で、硬式球を手に、腕をグルグル回す。しかも野球の上投げとは逆回り、ソフトボール投法の1つ「ウインドミル投法」。「これをやると肩甲骨の可動域が広がると教えてもらった。試したら、すごく楽に腕が振れるようになったし、肩への負担も軽くなった気がしています」と語る。右太ももに右肘付近を当てて手首に勢いをつけるため、肘や手首の柔軟性アップにもつながっている。

(2)バスケットボール
続いて、「バスケットボール」でフリースローを放つかのように、硬式球を高々と放る。膝を曲げて力をため、腰→肩甲骨→肩→肘→手首→指先と力を伝える感覚を研ぎ澄ます。「格好は良くないんですけれど、全身を使ってやらないと遠くには飛ばない。ボールに力を伝える感覚みたいな感じですかね」と語る。

(3)遠投
そして最後は遠投だ。控え投手の関悠人(2年)が相手役。相手を固定することで、日々の違いを敏感に感じとる。関は「吉田さんからは、はっきり言ってくれと」といわれる。約70メートルの遠投で球の回転、伸び、キレを確認。「たまにシュート回転したり、伸びて来なかったりするんです。ちゃんと伝えると肘の高さを調整したり、フォームを変えています」

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プロ表明の記者会見

記者会見は10月10日(水)午後4時から実施され、正式にプロ志望届提出が発表された。当初進学が有力視されていた八戸学院大(青森)に断りの連絡を4日夜に入れた。

吉田本人も好きな球団に挙げる巨人、高卒ながら即戦力としても最上位に挙げるDeNAの評価は高い。東北に本拠を置く楽天も含め、25日のドラフト会議では、複数球団が1位指名に乗り出すことになる。

▷【動画も】金足農業・吉田輝星、プロ志望表明の記者会見(一問一答)

プロ志望届を10月10日に提出

福井国体が終わり、秋田に帰郷した4日に家族と金足農の中泉監督と相談し、「プロ志望届」提出の結論を出した。

吉田は、国体の常葉大菊川(静岡)戦後に「後悔しないような道を選びたい」と話していた。

吉田は多忙を極め、進路に関する相談が十分に関係者とできていなかった。U18アジア選手権が終わってから、吉田は金足農の中泉監督とじっくり話す時間をあまり取れていなかった。

吉田の父は国体を観戦し、「例えばプロに入ればこうなる、進学ならこうなるといった具合に説明しました」と明かした。父は「自分が責任を持って決めた進路については尊重したい」とコメントした。

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準優勝インタビュー

 ―一夜明けて、甲子園はどういう場所と感じた?

 「一言で言えば、本当に最高の場所でした。甲子園に出られることだけでも幸せなことだけど、たくさんの声援をもらって準優勝できて。いい相手とも対戦できて、一番良かったのは、チーム全員で団結して勝てたのが、一番うれしかった」

―甲子園のマウンドで投げて感じたことは。

 「一番最高のマウンドで、自分をたくさん成長させてくれた場所。応援に応えたいと思ったら、自分の持っている力以上のものが出せた」

―昨晩はどう過ごした?

「消灯時間まで話して寝ました。タク(菅原天)と打川と。照れくさかったけど、本当にありがとうっていう話をして。3人で楽しく会話していました」

―一番印象に残った試合は?

 「横浜戦です。自分たちの力を全力で出せた。高橋が本塁打で逆転したときは、すぐ思い出せるぐらい頭に残っています」

―今の体の状態は。

 「最後まで戦い抜いて、体の疲れがやばいな、と思いました。筋肉痛なんですけど、下半身がキツくて。しゃがんだり座ったりするのが痛い」

―大阪桐蔭の印象は。

 「日本一にふさわしい、すごい強いチームで。全力疾走とか徹底していた。全国の高校球児にお手本にしてほしいチームだと思った。自分の全力は、出し切ったと思っている。試合後は藤原君(恭大外野手=3年)と抱き合って『ナイスピッチ』と言ってもらった。『ありがとう』と言った」

―3年間、練習してきた仲間に対して思うことは。

 「キツイ練習をみんなで乗り越えてきて、深い絆で結ばれた。うまい選手がいるチームではない。みんなの結束力で勝った。最高のチームと出会えて、ありがとうと言いたい」

―地元の声援もすごかった。

「正直、ここまで応援して下さるとは思っていなかった。(ラインなどは)150件ぐらいメッセージもらいました。感動をありがとうっていう風に。家族とか親友とかには返したところです。地元に帰ったら、甘いものが食べたいですね」

―甲子園には“魔物”がいた?

「大会を通して、自分たちに味方をしてくれたのかなと思います」

―後輩へ伝えたいことは。

「来年も甲子園出て、自分たちが果たせなかった東北初の優勝旗を絶対取ってもらいたい」

―将来の目標は?

「どこに行くかは決めていないが、いずれは絶対プロ野球選手になって、日本を代表するようなピッチャーになりたい。大阪桐蔭のプロに入ったメンバーと対戦して、自分の成長した姿を見せたい」

―好きな球団は?

 「巨人が好きです」

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決勝戦、吉田輝星と藤原恭大は見応えある対決

お互いがお互いを強烈に意識している瞬間だった。吉田は大阪桐蔭のブラバンを口ずさむ、藤原は集中力を高める。

吉田は大阪桐蔭の応援に合わせて「かせ、かせ、藤原」とマウスピースでつぶやいた。

決勝戦で禁止「シャキーン」を見せる吉田

決勝戦、吉田は途中交代に

大阪桐蔭との決勝戦では、この夏、秋田大会・甲子園を通じて、吉田輝星が初めてマウンドを降りた。

試合後、吉田輝星の女房役を務めた菊地亮は

捕手・菊地亮太。これまでエース吉田輝星の150キロを受け続ける代償は、左手人さし指付け根に現れた。

「春くらいまでは裂けて血が出ていた。いまは硬くなっているので大丈夫です。でも試合が終わるたびに腫れて、指が曲がらなくなります」。

試合後、「本当に楽しかった。吉田のおかげです。今後もあるだろうから、頑張っていってほしい。」とエールを送る。

「もっと良い捕手に受けてもらうと思うから。」

今後は就職をめざし、就職先が決まったら野球を続けるか決めるという。

大阪桐蔭・西谷監督、根尾昂のコメント

西谷監督のコメント

「間違いなく、大会NO・1の投手は吉田君。疲労で思うように投げられなかったと思う。点差はついたが、やっている方は接戦だった。」

根尾昂のコメント

「(金足農業)吉田投手は疲れが見えていたし、しんどそうなところもあったけど、代わるまで素晴らしい投球をしてくれたし、全力でぶつかることができた。疲れていてもこれだけのピッチングができるのはすごいなと感じました。」

秋田に戻り、吉田輝星が語ったこと

「大差で負けてしまったんですけど、こっち(秋田)にきてから感謝の気持ちを伝えようとして沢山応援をもらっていたので、ちょっと悔しい気持ちだったんですけど。準優勝という結果を吹き飛ばしてくれるぐらい皆さんの声援が凄くて本当に嬉しかったです。これからも金農をお願いします」

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準決勝・強打の日大三高を1点完投

日大三高戦の先日休養日は、近隣の公園で朝にストレッチやジョギングで軽く汗を流した。

エース吉田輝星は、同じ東北勢の聖光学院・矢吹、八戸学院光星・長南から「東北はお前たちしかいない。優勝してくれ」とメッセージが届いたという。

「状態はいい。東北の夢、応援してくれている人の夢をかなえたい。決勝まで投げ抜いて勝つ」とコメントしていた。

試合では、素晴らしいピッチング。内野陣にもしっかり意識を配る姿があった。


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近江戦・劇的な9回裏逆転サヨナラツーランスクイズ!

信じられない、しかし信じていたからこそ奇跡は起こせる。

金足農業の劇的ミラクル逆転勝利。第100回の球史に刻まれる一戦となった。

近江 2−3x 金足農業 (9回裏サヨナラ)

絶対的エースとして吉田が躍動した近江戦

横浜戦で中盤から左股関節痛を抱えていた。

近江戦の朝は起き上がれないほどに悪化していたという。

試合前のアップで痛みは消え、「行かせてください」と直訴。

中泉監督は「お前の野球人生はここまでじゃないからよく考えろ」と伝えるも

「やりたいではなくやれます。できるところまでやらせてください。」と直訴。

フライになった送りバントあえて落としダブルプレーするなど、好守備でもチームを引っ張った。

「最初は捕ろうと思った。でも打者がバッターボックスから出ていなかった。落とせばアウトを2つ取れると。体に染みつくぐらい練習してきた」

地元・秋田はすごい盛り上がりだと伝えられる

「知っています。秋田でも応援して下さる方々がいるので、自分たちはノビノビやろうと言っている。全力を出せた。支えてもらった恩返しが、だんだんできている」

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名門・横浜高校を撃破!150キロ記録

「最初から倒せるっていう気でいた。予想以上に厳しいゲームだった。でも、あきらめているやつは、誰一人いなかった。こっからやるのが金足だと。7回ぐらいから、冬練の合言葉が出た。9人の『勝ちたい』っていう気持ちが強かった。後半の対応力が良かったので、60点ぐらいです」

「大会期間で成長する」。吉田は甲子園入りし、宿舎のホワイトボードに目標を記載した。

勝つたびに注目度は上がるが、「見られることは全員のレベルアップのチャンス」と語る。

横浜高校戦の161球目は、自己最速タイの150キロを計測。

鹿児島実戦で157球、大垣日大戦も154球。3試合で球数は合計475球。3試合連続完投で防御率2・67。ここまで06年の田中将大ら名投手と並ぶ3試合連続2桁奪三振で計41奪三振を記録した。

「疲れて集中力が欠けていた。真っすぐも全然走ってなくて、股関節も痛かった」と5回には130キロ前後まで球速が落ちた。

それでも「プライドを捨てないと抑えられない」とコメント。


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大垣日大戦は13奪三振

金足農6―3大垣日大(8月14日) 

初戦の鹿児島実戦に続く2ケタの13奪三振で、球速も自己最速の150キロに迫る149キロを記録。

「今日の点数は50点。無失点に抑えられなかったので、次こそは抑えたい」とコメントしている。154球。

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初戦・鹿児島実業戦は14奪三振

8月8日 鹿児島実業 1-5 金足農(試合終了)

エース吉田が、鹿児島実業に対して完投。14奪三振の力投。

金足農はこれで、1995年以来、23年ぶりに夏の甲子園勝利。この日の最速は148キロだった。

甲子園初戦での投球術・3段階のギア

  • (1)走者なしで130キロ台~142キロ
  • (2)走者一塁で143~145キロ
  • (3)得点圏で146キロ以上

右腕はピンチになるほど燃える。

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秋田大会の全5試合を一人で完投!57三振

秋田大会は決勝までの全5戦計43回を1人で投げ抜き、投球回数を上回る57三振を奪った。

636球の力投。

初戦の秋田北鷹戦では自己最速の150キロを記録した。

帝京の前田監督が絶賛した逸材

夏の大会前の6月、金足農はあの東東京・帝京と練習試合を行い、5回1安打8奪三振1失点とほぼ完璧な投球を見せた。

試合は、金足農7-3帝京で勝利。

あの帝京の名将・前田監督は「完全に抑えられましたね。直球に重たさ、伸び、威力があるんだろうね。制球もいい。素晴らしいや。思い切って振らせたんだけど、空振りが多かった。当たっても振り負けている。こりゃー苦戦だ。なかなか対戦できるレベルじゃない。甲子園でも評判になるような投手。あの投手を持っていると、楽だね(笑い)。」と絶賛している。

金足農・吉田の目標は「PL超え」

「(金足農業・最高成績の)昭和59年の4強を超えたい」と語る。金足農業が初出場した夏、準決勝でKKコンビを擁するPL学園を追いつめながら、桑田真澄に逆転2ランを浴び、2―3で敗れた。

金足農の野球部員数・甲子園出場歴

秋田市。1928年創立の県立校。生徒数518人(うち女子は255人)。野球部は32年に創部。部員数はマネジャー3人を含め50人。3年生部員は10人。甲子園は春3度、夏は今回を含めて6度出場。最高成績は84年夏の4強。主なOBは石山泰稚(ヤクルト)、佐川潔(元日本ハム)。

夏の甲子園で優勝経験がない県

東北6県を含め、全国で19県(福井、岡山、熊本、長崎、鹿児島はセンバツ優勝経験はあり)

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